小手島へ


今丸亀港で乗船したところ。
これから小手島小中学校へ向かいます。台風の影響もない様子で、今日も暑くなります。
6時15分出航なので、早起きが大変ですが、たまにはいいものでしょう。勤務されている先生方も毎週重い荷物を持って行くそうです。金曜日の船でまた家族のもとへ。

発達の指標(授業使用資料を転載)

以下のチェックリストは、授業で用いる資料内容です。
幼稚園教諭用の授業ですので、大体3歳くらいからのものと思ってください。教諭用ですから、家庭ではわからないことが多いとは思いますが。

(生活)3:当てはまる 2:当てはまるとき(こと)とそうでないとき(こと)がある 1:当てはまらない。
1.ひとりで食事ができない。(手づかみ・コップで飲めない)
2.極端な偏食や特定の食感を拒否する。
3.ひとりで身の始末ができない。(衣類の着脱・靴を履く・手洗いなど)
4.ひとりで排泄ができない。(オムツ使用など)
5.鞄や持ち物を自分のロッカーに片付けることができない。(仕方・手順)
6.睡眠パタンが不規則である。
(運動)3:当てはまる 2:当てはまるとき(こと)とそうでないとき(こと)がある 1:当てはまらない。
7.ブランコに座ってこぐことができない。
8.階段を上がるのが難しい。(両足を揃えたり手すりを使ったりする)
9.簡単なリズム遊びや手遊びができない。
10.バランスが悪く転びやすい。
11.スキップが苦手である。
12.腕の力が弱い。(ぶら下がる・投げる・掴むなど)
13.手先の発達が遅い。(ハサミが使えない・マジックが使えないなど)
(言語・認知)3:当てはまる 2:当てはまるとき(こと)とそうでないとき(こと)がある 1:当てはまらない。
14.喋らない。(話しかけても答えない・家庭では話すが、人前では話さない)
15.よく喋るが、会話が成り立たない。
16.相手の話をオウム返しするか、決まったパタンの反復的な答え方をする。
17.話が聞けない。(理解できていない)
18.自分のマークがわからない。
19.大小・高低・簡単な色がわからない。
20.◯・△・□が描けない。
(社会性・コミュニケーション)3:当てはまる 2:当てはまるとき(こと)とそうでないとき(こと)がある 1:当てはまらない。
21.表情が乏しい。
22.視線が合わない。
23.手を繋ぐ・抱っこされるなど、関わられることを嫌がる。
24.集団を嫌がる。(同年齢のこどもと交われない)
25.自分の思い通りにならないと、癇癪を起こしたり大騒ぎしたりする。
26.自分の物と他人の物の区別ができにくい。
27.思いが通じないと、しばしば癇癪(大騒ぎ)を起こす。
(行動)3:当てはまる 2:当てはまるとき(こと)とそうでないとき(こと)がある 1:当てはまらない。
28.集団で何かするのが苦手である。(ごっこ遊びなど)
29.待つことが苦手で、結果的に他のこどもを妨害したり、邪魔をしたりしてしまう。
30.指示を理解して遊びや生活の中で順番を待てない。
31.次々と遊びを変える。
32.危険な行動が多い。(急に飛び出す・高い所に上がるなど)
33.自傷・他害・その場で寝転がるなどの行動がある。
34.いつも動き回っていて、じっとしていない。
35.忘れ物や物を無くしてしまうことが多い。
(こだわり)3:当てはまる 2:当てはまるとき(こと)とそうでないとき(こと)がある 1:当てはまらない。
36.さまざまな要因によって癇癪(大騒ぎ)を起こす。
37.ひとりでいつも同じ遊びを繰り返している。
38.予期しない出来事や予想に反する出来事が起きると、混乱しやすい。
39.感覚過敏がある。(それは何か:聴覚・視覚・味覚・触覚・嗅覚)
40.一度憶えた事柄・仕事・手順・動作を変更できない。

ナン

今日のお昼はナンを焼いてまさに孤食。家族は皆出掛け、出不精の私だけが仕事をするために在宅。必然的に自分で作り、食べる。
昨夜の残りのホワイトシチューをおかずに誰に食べさせるわけでもないので、適当な形にして適当に焼いて食べる。生まれてから何度目の食事だろうなんて思いながら、一人っ子のせいか、じつは、孤食は嫌いではない。先週も2度そばを茹でて、1度は孤食でざる。
専門店へ行くと、数種類のナンがメニューにあり、それぞれおいしいけれど、かなり脂っこいものが多い。小さいこどもなら、ナンだけ食べてそれでお腹いっぱい。自分で作るとその辺りの加減ができるのでうれしい。今日は棒状のナンも焦がし気味に焼いてみた。
食後は濃いめのコーヒー。最近は紙フィルターを止めて、写真の物を気に入って使っていて、少々粉っぽいところがまたいい。以前はセラミックフィルターも試したけれど、なかなかコーヒーが落ちないし、手入れがこれまた面倒なので、これが一押し。
そんなこんなでまた仕事。いつ終わるのやら終わらぬのやら。多数届いている質問を読み解くだけで、1時間以上。仕事は割と丁寧なのです。
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※フィルターはスーパーでも売っています。確か1500円程度。セラミック製はその3倍程度だったような。

自閉症が好き

よく研修などでこう言います。自閉症が好き。顔中・からだ中汗をかいて動き回る多動だと言われているこどもたちも愛おしい。
冗談ではなく、自分自身に同様の問題なり課題があるからでもありますし、それゆえに、かれらのしんどさから興味まで見ているとわかることが多いのです。聴いてくださっている方はおそらく、私の研究上の興味について言及しているのだろうと感じているかもしれません。それももちろんその通りではありますが、それより何より自分を鏡で見ているような気がするのです。
自分のこどもの頃の記憶からみても、私が今こどもだったら、医師は「◯◯の傾向あり」と言うでしょう。
それだけのことですが、とても大切なことなのです。

ちょっとした注:多動は、hyperactivityの訳語として知られていますが、じっさいのこどもたちの「多動」には、確かに多動症圏内の"hyper-"もありますし、そういうのをためらう状態としての「過動」(overactive)があります。ひとは次第にhyperからoverに変わることが多いのです。これを「治った」と言ってもいいし、「成長した」と言ってもいいでしょう。大事なことは、それでその子がしっかりとその子自身の力を発揮して、みんなと仲良くやっていくことなのです。

一歩踏み出す

このブログは、本人や保護者に加え、できれば、保育士と教員、そして、教員等を志す学生にも読んでほしいと思って書いています。今回は、どちらかという学生向け。

香川県に来て、21年目。33歳でやって来ましたから、今年54歳になります。少なくとも、20年間は学生たちを偏りはありますが、見続けて来ました。20年間の最初の4分の1(5年間)は、研究者育成みたいなことを意識していました。大学を卒業して大学院に進学して、研究者あるいは専門家に育つ学生ばかりに目が向いていました。残りの4分の3すなわち15年間は、どちらかという、実践(現場)に学生たちを向かわせよう、経験させようと自分なりに熱心に取り組みました。最初の5年間はともかくとして、残りの15年間でわかったことがあります。
それは、一歩踏む出す学生たちがほとんど成長するという、当たり前の事実です。人間としても、また、教員等としても。ボランティアという響きに多少なりとも違和感はありますが、いってみれば、そのボランティア的な活動に一歩踏み出す若い人たちの成長ぶりに驚きます。かれらは汗を厭いません。(では、踏み出さない人がダメか?というと、それは、私にはわかりません。)

twitterなどを読んでいると、教員の対応のまずさなどが批判されています。読むと確かに「これではなあ」と思いますが、学生時代にこうして踏み出す勇気を持ち、育っていく人たちは、きっとそんなことはないでしょう。

大学教育(カリキュラム)には、あまり実践がありません。発達障害についても、私を含めて、文献を読んで、その浅薄な知識を伝達し(教育にはなっていない)、それを試験に出すというサイクルにはまっている教員が多いのです。そればかりか、その専門を謳いながら、現場に行って、とんでもないことを言ってくる「専門家」もあります。専門家が大丈夫と言って、貴重な1年間を無駄にした事例も少なくありません。
そんな人の授業を受けるのではなく、どんどん現場に入って、勉強させていただくことができる学生も多くいます。

学校という枠

よくある質問は、「確かにそうした支援の仕方をしてみたいと思うのですが、何だか「遊んでいる」ように見えてしまわないか心配なのです」というもの。
確かに学校という場はいろいろな縛りでできています。私には、「それでもやってみて」と言うだけの勇気はありませんが、「やってみたら、きっと開ける」という希望があります。
管理職や同僚の目が気になるということは、その教員が真面目であるということです。こどもがミニカーを手に持って床でタイヤを擦って回転させて「遊んでいる」とき、それを「止めろ」あるいは「止めさせる」のが学校の縛りなのかもしれません。しかし、それで「仕事したような」気にはなれないでしょう。
私たちは、こどもの状態によっては途方に暮れることがしばしばです。途方に暮れることは辛いことです。それで、納得してもいない「縛り」に従って動くことは、もっともっと辛いことではないだろうかと思うのです。

研究と実践

ここ3年ほど、支援等をテーマに据えた本をまとめておこうとしばらく奮闘したのだけれど、現場に行く度に、まとまらなくなることが連続しています。
それは、「こうすれば」という、ある種how-toに偏った内容になりがちで、「こうしても」うまく行かないという例が常にあるからに他なりません。世の中に出回っている、いわゆるマニュアル本通りにやっているのにうまくいかない、という質問がよく届きますが、自分も同じ落とし穴に捕まっていたわけです。
しばらくは、研究としてのまとめは置いておこうと思って、実践に精出すことにしました。すると、どうでしょう。出向く度に、いろんなアイディアが産まれてきます。

「発達障害」という用語についての戸惑い

文科省が発達障害を3種、つまり、学習障害、注意欠陥多動性障害、そして、高機能自閉症に分類していることはよく知られています。もちろん、知能指数が70以上という但し書きがつきますが。私たち心理学や関連科学の研究者で、この分類あるいは定義に戸惑ったことのある人が多いだろうと思います。少なくとも、20世紀中に教育を受けた者たちには、発達障害というと、知的障害(精神遅滞)を指し示すからです。それがどういう理由でこのような分類になったのかは定かではありませんが、公の、それも国がそのように決めてしまったので、ある種仕方なくそのように言うわけですが、いつも戸惑う気持ちがつきまといます。
そのような意味では、発達障害はあるとも言えますし、3つの状態像を揃えて発達障害なぞというのは、随分と乱暴であり、実際このような雑な分類自体を、テーマとして、あるとかないとか論ずるのは、意味がありません。とりあえず、そういっておこうということで少しだけ落ち着くは私だけではないでしょう。
ただ、つぎの指摘には注目しておきたいと思います。

(1)診断基準自体に変更が加えられ来た事実。そして、これからも変更があるだろうという状況。
(2)仮説としての原因論は提出されて来たが、明確でないこと。

つまり、これらの障害についてはまだまだわからないことが多いということです。従って、今のところは、発達障害と呼んでおこうという程度だと私は考えています。

これまで方々で論じて来たように、LDにしても、その定義は多義的ですし(この点は、AD/HDやPDDにも共通します)、そもそもDを何とするかという点でも多くの課題なり問題があります。
また、一方で、診断基準の読み方が、診断する者によってある程度の範囲(ずれと言えるかもしれません)の中で決めていく仕組みになっているので、医師によって多少なりとも差があるのも事実でしょう。

※文科省は、「発達障害等」と「等」という広がり(きれいに言えば)を付け加えていることにも注意が必要です。

支援の手掛かりを求めて

本日のハートサポートのテーマを解題すると、「自閉症と情動(支援の手掛かりを求めて)」となります。
自閉症のこどもを理解するのはかなり難しいというのが現状です。初任者が担当すると、途方に暮れてしまうことが多いように見受けられます。
1980年ころまで、自閉症のこどもには「感情がない」と思われて来ました。もちろん、これはまったくの嘘・デタラメなのですが、そのような差別的な思い込みが根強かったわけです。現在学校と場でベテランの教員は大学時代にそのように教えられた・読んだひとたちがいると思います。
実際どうでしょう。感情発達のステージの遅れ(定型に比較して)はありますが、感情もっと言えば情動(
emotion)はむしろ強いように思われます。
情動が快に位置するかそうでないかはたいていわかります。その情動を受け止めて(同期とでも言いましょうか)、ミラー動作(こどもが楽しくしている活動(routine activityでも)に合わせて保育士や教員も同じように活動するような状態)を始めると、しばらくして、こどもと保育士・教員との交流が産まれます。
今日の中核的な部分は以上のような内容でした。

もう6月

年を取ると、なのか、ぼーっとしているからなのか、わからないけれど、5月がしらないうちに過ぎていってしまった気がしています。そして、6月は休日がない月。1年のうちで結構しんどいという方が多いようです。私もそのひとり。
だから、なるべく自分の時間を多く取るようにして、自分の楽しみをするようにしています(趣味といったものはあまりありませんが)。痛飲などを避ければ良いのですが、これまた、我慢しない方なので・・・

さて、今年度もすでに始まっている事業は、個人的には良い感じがあります。個別相談の枠の拡大もじゅうぶんとは言えないけれど、前進はしただろうと思います。巡回回数は変わりませんが、前年度の担当が回るように工夫していただいています。
すきっぷは、今回私だけでなく、複数が当たるようにしました。これで個人の考えに偏ることは避けられるように思います。
ハートサポート(保育士や教員等対象)も同様に複数担当になっています。明日は私の番(初回)。
事例検討が主な内容のはずですが、今回は趣向を変えて、支援の糸口について、(いつも通り)教科書やマニュアルには載っていない、「なるほど」を示せたら良いなと思っています。これは7月に開かれる、確か県教委系の研修会でも取り上げようと思っています。


先週火曜日辺りから鼻はむずむず、くしゃみは頻発、喉はぜーぜー。風邪なのかと思いつつ、水曜日は授業。午後に入ると、声が出にくくなり、ストップ。
そのまま医者に行けば良かったところ、「明日でいいや」と延ばしたのが悪かった。夕方行くと、よく行く耳鼻科は木曜休診。ならば、と2,3軒の内科に行くも、休診。冷静に考えれば、電話してからとなるが、思考もメロメロ。当然その日は諦めて、翌金曜日に午前の部に駆け込み、「麦のアレルギー」でしょうと言われ、処方戔を出していただき、服用→急激な改善。
ところが、「きっちり飲みきってください」と言われた薬を一度飛ばした。途端にほぼ元の症状に。飛ばしたのは急に眠くなり、寝てしまうので、仕事を優先させた次第。
麦。パン、パスタ、うどん、麦焼酎、とぜーんぶ好きなのに、アレルギーとは。困ったものである。

若手が育つ必要

どのような分野でも、新しい理論や技術が生まれます。ひとに関わる分野でも同様です。一方で、ひとは少しずつ年を取ります。今30歳の若手も20年経てば50歳。領域にもよりますが、中堅あるいはその仕事を引っ張っていく立場にもなります。

心理学という領域で仕事をしていると、学生たちに対して、「こどもたちを犠牲にして勉強している」と教員が学生たちを批判することが少なからずあります。たとえば、こどもや親のことを考えずに、「データを取らしてください」という学生がいれば、わたしも叱ります。でも、心理実習や教育実習や保育実習は、こどもたちを犠牲にする行為ではありません。
ある病院で、医学生の卒後プログラム(http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/rinsyo/)を担当していますが、医師の卵たちは2年間各科を巡って実習します(厚労省の、このプログラムの是非は今回は置いておきます)。わたしが患者だったら、これから医師として勤務する予定の若手に診ていただくのは、抵抗が確かにあります。でも、責任医師がきちんと付いていますから、難しい手術などであればともかく、治療を受けるでしょう。
わたしたち、ある種のベテランも、若いときは同様にあり、痛い経験もしたことがあります。そうした経験も含めて、ベテランになるのであって、大学や大学院を出ました、はい、もう問題なく仕事ができます、そんな人は、ほんの一部の例外を除いてあり得ません。とりわけひとを相手にする仕事は、多くの経験が必要です。

若い人たちが育たねばなりません。
多少頭でっかちの姿勢かもしれませんが、かれらから新しい理論や技術が産み出されることもまた事実であり、わたしたち年数を経た者は、見守ることも肝要だと思えてなりません。「こどもたちを犠牲にして」と批判する教員の中には、それだけ重要な仕事を「君は今後していく覚悟でやれ」というメッセージが入っている場合があります。学生であろうと、若手であろうと、こうした姿勢は必要です。今は堪えて、精進しましょう!と今年度も数名の卒業生をみていて感じました。

巡回カウンセリング

今年度も巡回カウンセリングが始まりました。保育所と学校からの希望を調整して、数名の相談員が巡回します。
こどもの様子を見たり、話をしたり、そして、保育や授業の状況を見て、「今後」を一緒に考えていきます。もちろん、2度目あるいは3度目の巡回もおこなえることになっています。発達障害が一定の比率で生じるであれば(文部科学省は2003年に6.3%という値を公けにしましたが)、在籍するこどもたちが多い保育所・学校ほど、巡回の回数が多くなるかといえば、そうではありません。あくまで状況によります。また、保育所は2回と決まってはいます。
回数のことは、もう少し様子見をして検討しなければならないことだと思いますが、巡回というと、たぶん、

  保育所・学校⇒日程調整⇒巡回

という順序というか、流れがあるように思われがちですが、

  保護者⇒保育所・学校⇒・・・

という流れも作りやすい仕組みになっています。すべてできるとは言えませんが、保護者の心配を保育所・学校が受け止め、それを巡回の中で次へ繋げていく、というのは、必要なことだとずっと思ってきました。ひとつには、授業参観はあるものの、保護者は学校での普段の様子がわかりませんから、巡回という機会を利用するのは良いことだと思います。もちろん、保護者自身がこどもの様子をみるわけではありませんが、巡回当日あるいは別の機会に相談員と面接をすることでずいぶんと方向が見えてくることがあります。

今年度の1年間がさらなる飛躍の時間になればいいなと願っています。

連携方式

すでにご存知の方々が多いと思いますが、行政的には、発達障害児・者支援センターといった、センター方式を採用するところが多いように思います。センター自体は必要です。各都道府県にひとつはないと本来は法の趣旨からいっても困ります。
ただ、センター常駐のスタッフや建物を含む予算には限度があります。限度のない予算では普通は破綻してしまいます。すると、どうしても、萎縮したセンターを作ることになり、サービスを受けられない、あるいは、受けにくい当事者が存在してしまい、その当事者は我慢することになりかねません。

各地域に、支援センターを作るだけの潤沢な予算があるところは少ないでしょう。もちろん、だからといって、作らなくて良いといっているわけではありません。考え方というか、目先を変えて、地域の人材と連携するという方式もいいのではないかと思います。詳しくは、また、書かせていただくか、どこかでお話をしますが、本事業の場合は、地域のNPOを含む、人材を柔軟に活用してある程度の成果を上げています。
もちろん、それで100%だということはできません。足りないことはたくさんあります(これもまたできれば書きます)。
また、センター方式は設計図を超えられませんが、連携する方式を採用すると、成長する側面が生まれます。
世の中、いつからか、トップダウンとうるさい。たぶん、仲良くなる力があまりない人たちが考えると、トップダウンになるのでしょう。事業を育てていくには、仲良くなる能力が必要だと思うのです。

パスタ鍋

数年前から欲しかった品物にパスタ鍋があります。麺類好きには、パスタ以外にも、そばやうどんにも使えます。そのパスタ鍋が昨日ようやく届きました。それで、最初の料理は、「サラダうどん」。
サラダうどんというのは、善通寺に昔あった「バース(verse)」というお店でよく昼食にいただいた一品です。もちろん、うどんではなく、太めのパスタとサラダをいっしょに盛り、それにフレンチドレッシングをかけて食べるだけなのです。ドレッシングに醤油を入れたり、鶏胸肉を蒸したものを添えたりしたら、さらに風味も栄養価もあがります。
私自身こちらに来てから、個人生活を楽しむようになりました。多忙でもこうした趣味まではいかないけれど、食べることや観ることなどで楽しめると、毎日が少しは豊かになるような気がして。

今、日本は就職氷河期とか、ニートとか、いろんな否定的な社会状況があります。もちろん、職はなければ困ります。毎日の生活を支えるのにお金は必要です。
日本社会は、資本が支配的に動かして来ました。今もそうです。こどもたちが職に就くために学校へ通い、職に就くために、自分の生活を投げ出すこともあります。
「こどもたちは愛されるために生まれてきた」とは、連休中に再度読んだ、岸川悦子「学校行かなそんそん (PHP創作シリーズ) 」(1999)のあとがきのことば。
こどもたちが学校へ行き、少しでも楽しく過ごせること、
家庭で家族の中で幸せに過ごせること、
そんなことを「忘れろ」と言われているような社会ではありますが、わたしたちは、せめて忘れずにいたいと思います。生活の質をあげることをもう少し考えていきましょう。もちろん、この私も。
ファストフードやらファミレスも結構おいしいけれど、分業して作るサラダうどんもなかなかなのです。

自治会


当地に来て20年。自治会総会に初参加。
昼御飯のときにビールがずらり。目の前にあると、無自覚にも数杯頂戴しました。
行きはバスに乗って12,3分で料理屋さんに到着。帰りは、(戻ってから仕事にならないと思って)徒歩で迷子になりながら帰宅。約50分で汗びっしょりになって、またビールを飲みたくなりました(が、それを堪えて麦茶)。
久しぶりのウォーキングだったので、体温がなかなか下がらず、仕事にはならず。それでも、たまにはこういう日もいいと思いました。

母の日

今朝家族で遠く離れて住んでいる母たちに贈る品を選びました。
じつは、すっかり5月15日が母の日だと思い込んでいた始末で、「これはしまった」と思って、インターネットで注文しました。便利ではあるけれど、実際の花や物を確かめられない不確かさを少し残念に思いながら。

スマートフォン

地震の起きた3月以来スマートフォン(若者はスマホと呼ぶようです)の活用について数件の質問がありました。米国等で特に自閉症スペクトラム障害のこどもや成人の支援ツールとして注目されているようです。英文の記事が多数あります(私が確認している限りは昨年末あたりから)。
4月にはNHKで取り上げられたこともあり、今後も保護者や教員としては気になるツールだと思います。
私はその効用のほどは明言できませんが、既にわかっている長所と短所は整理しておいた方が良いように思います。

短所としては、
(1)値段が高い(スマートフォン自体もですが、通信料金)。
(2)ユーザによっては、機能が多彩過ぎて使い切れない。
(3)双方向の通信ツールが例えば保護者からの連絡が送信されるだけで、そのあとどうしたかが不明である。(これはかなり不安な気持ちになるでしょう)
(4)無料ゲームが無数にあり、場合によっては、こども自身が依存してしまう(アディクション)。
(5)置き忘れなどの問題が発生しやすい。
(6)バッテリーが長続きしない。
等々

長所は、
(1)視覚支援がしやすい。(これが大きいでしょう)
(2)成人したときにも利用できる。(こどものときから慣れていると賢いユーザになる可能性があります)
(3)位置情報の機能をオンにしておけば、どこにいるか大体わかる。(迷子になりやすい傾向がある場合など助かります)
(4)突発的な事象、とくに、地震などの際にtwitterなどに加入しておけば、電話が不通でもやりとりが可能となる場合がある。
等々
ざっと、思いつきばかりですが、参考にしてください。

コメント


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Twitterやfacebookも検討しましたが、まずはブログから始めます。