学校という枠

よくある質問は、「確かにそうした支援の仕方をしてみたいと思うのですが、何だか「遊んでいる」ように見えてしまわないか心配なのです」というもの。
確かに学校という場はいろいろな縛りでできています。私には、「それでもやってみて」と言うだけの勇気はありませんが、「やってみたら、きっと開ける」という希望があります。
管理職や同僚の目が気になるということは、その教員が真面目であるということです。こどもがミニカーを手に持って床でタイヤを擦って回転させて「遊んでいる」とき、それを「止めろ」あるいは「止めさせる」のが学校の縛りなのかもしれません。しかし、それで「仕事したような」気にはなれないでしょう。
私たちは、こどもの状態によっては途方に暮れることがしばしばです。途方に暮れることは辛いことです。それで、納得してもいない「縛り」に従って動くことは、もっともっと辛いことではないだろうかと思うのです。

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