はぐみくらぶ

本日より、はぐみくらぶの担当を引き継ぎました。
充実した1時間は、これまでのプロセスがあってこそ。
年度末に向けて少々まとめる方向も入れて行こうと計画しています。

「大阪維新の会」大阪市議会議員団の「家庭教育支援条例( 案 )」について

大阪維新の会が作成した条例案を読みました。(私は、自由法曹団大阪支部が転記したテキストを読みました。http://osakanet.web.fc2.com/kateisien.pdf

twitterを中心に批判的な書き込みが多いですね。不愉快な気分を引きずりたくないこともあり、昨日の時点で書いておく必要はないだろうと思いました。今日になり、何か企てのある、社会実験に参加させられているような、不快な気分になりました。当事者や関係者も同様の気分の方々がいらっしゃるだろうと思います。
「家庭教育支援条例(案)」のいう「発達障害」に少しだけ触れておこうと思います。時間をあまり割けないので、テキストの「前文」までの部分を取り上げます。

1.予防・防止という概念の対象ではない
同条例(案)の第4章では、発達障害が予防・防止の対象として、取り上げられていますが、これは誤り・でたらめです。どうして、このようなことを書いたかというのは、私にはわかりませんし、そのようなことにあまり関心はありません。選ばれた議員たちがこのような作文をした、ということに対する責任は問われ続けるだろうと思います。

2.用語法が誤解を招く
「軽度発達障害」という用語が前文に出てきますが、「軽度」という概念は重症度の判定が根拠になるでしょうから、軽々に使用されるべきではありませんし、現在「軽度」という冠は、特別支援教育や療育の中であまり用いられていません。また、「軽度発達障害と似た症状の「気になる子」が増加し」についても、「症状」が無知/無理解/誤解の上に使われているのでしょう。さらに、「増加し」というのは、何がその根拠なのか不明です。

3.「非行等」との関連の指摘は誤り
発達障害と非行との関係が、無批判に用いられています。多いか少ないかということでいえば、私は、少ないと推測します。むしろ、被害に遭うケースが多いでしょう。また、この「前文」では、「ひきこもりや不登校、虐待、非行等と発達障害との関係も指摘されている。」と、「非行等」と書かれ、「非行、等(々)」ではありません。何を意味するかは想像する以外にありませんが、こどもたちの行動のうち、反社会的行動を指すのだろうと思います。発達障害と反社会的行動との直接的な因果関係を、アプリオリに採用するという誤りがあります。

以上

(まるで、論文査読時のメモみたいになりました。論文だとすれば、掲載は不可となるでしょう。)

SNSと発達障害(1) (発達障害の話題は次回)

SNSはsocial networking serviceの頭文字が並んだ、インターネット上でひととひととを結びつけるものだと理解しています。日本では、SNSがとても危険なもので、とくにこどもたちから遠ざけるべきであるとの、学校教育の姿勢があります。一部の高校などで積極的に携帯電話などの通信機能を用いた取り組みがおこなわれてはいますが、相変わらず、情報教育は「危険」という視点からのみ捉えています。携帯電話を持たせると、多くのこどもたちが、出会い系サイトに接続して被害に遭う、学校裏サイトでいじめを繰り返す、そう思っているのです。制限よりも、きちんと学んだ方がいい、ということにいよいよ私たちは気づかねばなりません。それとも気づいていて、なお、ダメというのは、理屈に合いません。日本はITを全面に押し出して展開したのに、これです。
たぶん、これは「その方が都合の良いひとたち」がいるからなのでしょう。まるで、文字なぞ教えない方が都合がいい、自ら考える力を持ってくれない方が都合がいい、と私には思われてなりません。
SNSがひとを救うツールとなった例に目を向けるなら、たぶん無限に出てきます。スマホ(という表現が私はあまり好きではないし、多機能携帯電話というと何だかごつい印象なので、以後SPと省略)の拡大が物凄い勢いであることは多くが認めるところ。世界中でこのSPのひとつひとつが「事実」を伝える放送局だったり新聞社だったりという現象が続いています。TVよりネット情報から「事実」を得る人々も増えています。Facebook(フェイスブック;以下FB)やTwitter(ツイッター;以下TW)などの登録者数が急激に高まっています。特に、日本は311以後に拡大しているとも言われます。私自身も311直後に自分の家族にすぐにTWのアカウントを作るように進言しました。わたしは311を起点に大きく変わりました。それまでは、「危険」だという学校への手前大っぴらに勧めるようなことはしていませんでした。密かにこどもにはネットを使えるように、PCを使えるようにと、小学生の頃からかなり教えていましたが、表向きは「危険」ということにしていました。私はかなり間違っていたと思います。こういう大人がいけないのだとも気づきました。究極的には、危険だから外へ一切でるな、ということになってしまいます。
自分の教える学生たちにもどんどんPCをこちらへ来て以来勧め、20年前連絡はすべてメールでせよなんて指令を飛ばしていました。
SNSを自分も勉強しておこうと思って1年と1か月ほど経過しました。その間に311がありました。
年を取ると、ひとに聞く時間もないし、周囲に教えてくれるひともあまりいなかったので、すべて自学自習というスタイル。紙でできた本を読む方がいいなんてずっと思っていました。もちろん、その考えはあまり変わりませんが、FBでは既に発達障害特に私の一番の関心事であるASD(自閉症スペクラム障害)のネットワークがかなり広がっていました。すぐにそれらに参加して、毎日PCで読みました。読める言語が日本語と英語なので、それ以外の書き込みはgoogleなどの翻訳を使いました。FBでは多くの「会ったこともない」「これからもおそらく会わない」だろう人たちと連絡し合いました。FBを使っていなかったら、たまたま書店に行ってDSM(米国精神医学会の診断基準)の改訂版翻訳が来年出てそれとわかることにもなった可能性が高かったと思います。今やその内容も関係する項目についてはFBでわかります。
TWは随分と趣きが異なりますが、相互伝達と発信機能としてはかなりの力を持っています。2月12日(今日)は#autismsundayという呼びかけのもと、世界中のTWユーザでASDに関係している者たちが連絡を取り合いました。わずか140文字の中に、皆がそれぞれの思いと、必要な情報を込めた発信です。私も少し気恥ずかしさを感じつつ参加しました。当事者や支援者、そして教員や研究者たちが熱心に発信とリツイートを繰り返しました。大きな発見しました。「危険」自体誰かの都合に合わせた、それこそ『風評」に過ぎません。危険なんてどこにでも転がっているものです。私たちはそれを器用にかわしてしか生きていけない世界に住んでいます。向こうからやってくる大勢の人たちの中に、懐にナイフを隠し持った輩がいて、私を刺してくるという危険が100%ないだなんて言えません。どこかの国が勝手に飛ばした人工衛星が頭上に落ちてくる危険が皆無だなんて言えません。(あなたが大学院生なら、ここで二項分布やポアソン分布というのを学んでおきましょう)
コミュニケーションのツールが私たちには確実に必要です。同様に、あるいは、間違いなく、もっと確実に、発達障害のこどもたちにはそれが必要です。次回また時間を作ってそれをここに記します。まず取り上げる項目は、
(1)開発ツールに依らないやり方
(2)開発ツールを用いるやり方
(3)(できれば)ツールを開発する人たちが必要
を考えています。勉強もしておきます。

世界自閉症啓発デー2012

World Autism Awareness Day(世界自閉症啓発デー)が来年も4月2日を中心に実施されます。このイベントは世界中が参加します。
今年は東北の地震・津波・原発事故などが重なり、まだまだ小さな世帯である、本事業での取り組みはできませんでした。
来年のこの啓発デーに関連してのイベントを現在構想中です。
日本では4月が年度の始まりで、どうしても重なってしまうことが気になりますが(私はこの日入学式なのです)、4月2日には拘らず、それでも世界中の仲間と手を繋ぐイベントは大切にしたいと思います。

日本語のサイトは以下:
http://www.worldautismawarenessday.jp/htdocs/

三たび小手島へ



今年は2度目。前回は6月末でした。
季節が2度変わって秋。残念ながら、今日は悪天候で船が今まさに揺れています。昨夜遅かったので、船上の仮眠を予定していましたが、慣れぬ船が揺れるので眠れません。
対岸の岡山の工場地帯が近めに見えます。あと30分ほどで到着するので、寝るよりは景色を眺めることに。
瀬戸内海も海は海。いろは丸も沈んだほどですから。
私たちは自分の生活に慣れきっていて、こういう機会でもなければ、ほかの人たちの暮らしに目が向かないことが多いのでしょう。揺れる船に乗り、暮らしを支えるために、あるいは、他のひとの暮らしを支えるために、懸命に活動している方々がいらっしゃることは、とても大切なことに思えます。
島には車に乗っていくわけにはいきません。船も6:15。2時間弱の旅。「視察」する「偉い」人の一部はチャーター船で向かいます。これで視察になると思える神経は理解できません。あまりにも鈍感だと思うのです。
SC研修などで、まず伝えるのが、その地を歩けということ。同じ道路を歩いてみないとわからないことが多いと思います。理解や共感は、むしろ、そういうところから生まれるのでしょう。

そうそう、ちょっとした旅行時タオルを一本。友人が3.11での経験を教えてくれました。タオル一本。いろんな利用法があります。試してみてください。きっと「ほう」と合点が行くでしょう。
もうじき雨になりそうです。

Steve Jobs passed away スティーヴ・ジョブズと・・・

私は特に追いかけていたわけではないので、詳細は不明ですが、このジョブズさんという方はとんでもない天才だったようです。"visionary"という形容が英文の記事では随所に踊っています。試験に出る英単語的には、あるいは、世の中の多くからは、嘲笑めいた響きで「夢想家」と言われる人たちへの形容でもあるわけですが、このジョブズさんは、「夢想」を現実にしてしまう能力があるので、こうなるとは、ひとは、「天才」という賞賛を込めて"visionary"と形容するのでしょうね。
たぶんですが、きっと多くの人が、このパソコンが「もう少しこんなだったら」とか、この携帯電話が「もっとこうならなあ」と、チラッとは思ったはずで。私も同様。

PCがもっと小さくならないかなあ…
PCのメモリがもっと大きくならないかなあ…
PCと携帯が同期できないかなあ…
PCのメモリを持ち運ぶのが面倒だなあ…。ネット上にきちんと安全にしまえる場所がないかなあ…。
(これは、iCloudで可能となりそう)
PCがどこでもネットに繋げないかなあ…
携帯電話で音楽が聴けないかあ…
音楽をネット上から簡単にDLできないかな…
等々

これまで思(願)って来たことが、1990年から20年経つうちにほとんど可能となりました。こうした基礎を作ったから、twitterだの、Facebookだの、と私たちは気楽に利用できているのでしょう。災害時にもこうした基礎に立つツールが活躍し、民主化運動でも懐に入れて持ち運べる道具になりました。驚くべきは、それはひとを殺す道具(武器)ではないこと。

こうした天才的なヴィジョン(vision)の能力が、ASDタイプのひとたちに多いことは言うまでもありません。彼や彼女の目の奥に隠されている「幻」(vision)は、もしかすると、私たちを救ってくれる夢想かも知れません。ときに、そんなことを感じつつ、こどもたちを観ると、「ありがたい」活動をさせていただいているとも思うのです。

それにしても、56歳はあまりに若過ぎますねえ。

レモン(これは戯言です)

誰かが聞いてくれないかなあ、と思って来たのですが、誰も聞いてくださらないので、自分で。
このブログのデザインをレモンにしています。iGoogleという便利なページがあるのですが、これまた、レモンにしています。暑くなり始めた頃、夢にレモンが出て来たので、きっとレモンは良いことの兆しなんて思いながら、レモンのデザインにしました。もちろん、それ以来レモンを見つけると、買おうかなあどうしようかなあ、と思いつつ、何度かに一度は買って来ます。
レモン、lemon、檸檬。あまり文学には出て来ませんが、梶井基次郎の『檸檬』は割と有名ですね。

(『檸檬』より)
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。

第3回協議会

昨夜充実の2時間でした。
席には、市の職員以外に、先生方が複数いらっしゃいますが、みなさんがこどもたちのことを本気で考え、今日より明日は少しでも良い方向に向くよう、意見を出していただけます。私には、それだけでも宝物ですが、事前に多くのご提案を出席されている方々から頂戴します。
他の国々に較べて、日本はまだまだとの指摘も受けますし、確かにそうだと思うことが多いのですが、丸亀市がこうして皆の知恵を出し合って、少しずつでも進んでいることが誇りです。

土曜日の晩、本当は疲労を回復したい時間帯なのに、ありがとうございます。

時期と合理性

しばしばこういう問いがあります。
―いつまでに療育などの支援を始めるのが良いか?

文部科学省が特別支援教育と銘打って、現在の体制(といえるかどうかは疑問)を開始したのが2007年度。通常学級に在籍する発達障害等の児童生徒への特別な支援をおこなうというのが大体の内容です。当然ですが、こどもたちは、就学する前に6年間を過ごしていますから、この問いは就学前療育は可能かとか、効果はいかほどか、という問いかけ主の考えが含まれているのでしょう。
物事に順序があるように、私たち人間の発達にも順序があります。定型発達の3歳児に可能なこと、たとえば、喋ること(音声言語以外も含む)やジェスチャーや表情で伝えること、相手の表情などを理解すること、等々がまだできないこどもはその点では定型と同様のことを、親や教員・保育士が要求すれば、それはできないに決まっています。私たちは個人間差に注目しがちですが、個人内差つまりひとりの人間の能力間の違いなどにも注目しつつ、その子の発達の段階(ステージ)についてのアセスメントが必要となります。
順序性※を考慮すれば、発達の各項目の現在のステージを把握し、次のステージはどこか、という見通しを周囲が持たなければなりません。
仮に、それが10歳でも同様のことが言えるでしょう。10歳の子が感情を適切に表出する力が5歳レベルであれば、次のステージに導くあるいはその子が成長するのに、どうすれば良いかを考えることになります。療育は合理性に支えられています。

さらに、冒頭の問いのもうひとつの側面。療育は早期開始が有効か。
当然早期が有効との答えが得られます。割と見立てが難しいとされて来たASDも、大体お誕生日にはその傾向についてはわかります。とすれば、満1歳で開始できることになります。早期診断が可能になったということは実は朗報で、脳の成熟を考えれば、早いほど有効だろうとの読みが成り立ちます。日本ではなかなか進みませんが、3歳くらいまでを一定のメドとして、それまでの支援の成果に大きな期待を、私は抱いています。これは制度面を考慮した場合も同様で、3歳になると、幼稚園入園という場合も多いでしょう。
そのためには、保護者がきちんとした情報に接する必要があります。たくさんあるうちのひとつですが、重要なのは、こどもが生まれる前にまとまった情報に接することです。親になる前にある程度知っておけば、生まれてきた、大切なこどもについて、冷静な判断ができる可能性が高まります。(もっとも、日本では、結婚教育自体がほとんどなされておりませんから、まだまだ時間がかかるとの予想はつきますが、なるべく若い方々に知っておいてほしいことなのです)

※杉山登志郎医師がある本で(一体どの本だったか失念)、"disorder"について「発達の乱れ」と見事な解説をされています。日本語に訳出するとき、この語は「障害」となるのが通例ですが、ある項目は定型的に発達しているけれど、ある項目はそうでない。あるいは、全般的に遅れていることも含めて、乱れという平たい表現を充てています。なるほど、と合点のいく方も多いでしょう。

情報を集める

私たちの学生時代には、何かの勉強をしようと思ったら、図書館で文献を探す、というやり方しか、情報を取得する方法はありませんでした。21世紀になり、さまざまなメディアから情報が取れるようになり、院生たちの勉強方法も変わってきたのだろうと思います。まぁ、院生は勉強が本業ですから、それでいいとして。

以前から伝えておりますように、この領域の情報は文献上はかなり氾濫していまして、どの本を読んだらいいかという線引きは難しいでしょう。文献探しというのは経験と勘の要素があるので、「当たり」を見つけるには年季も必要です。
そこで手軽に入手できる情報源が必然的にインターネットになります。twitterとfacebook(今後は更に拡大するようでしょう)だけでも相当な量が情報として流れて来ます。残念なことに日本語の情報がまだまだ少ないというのが難点ですが、機械翻訳というのも試して良いでしょう。もちろん、機械翻訳は単純に単語の意味を並べるようなものですから、出て来た日本語を再構成する必要はありますが。
twitterもfacebookも登録しておかないとなかなか情報を取るといってもややこしいところがありますので、入念にこれらを調べて納得した上で登録するのがよいと思います。twitterは顔を出さない日本の文化ではやりやすいかもしれません。ただし、facebookのように自分が何者であるかということを相手に示すプロセスが含まれていると、情報の質は高まるでしょう。(ただし、リスクも高まる)

(機械翻訳の例)原文は:http://www.icdl.com/dirFloortime/overview/index.shtml
発達、個人差、関係ベース(DIR ® / Floortime™)モデルは、臨床医、両親や教育者が包括的なアセスメントを実施支援し、自閉症スペクトラム障害を持つ子どもの固有の課題や強みに応じた介入プログラムを開発するフレームワークです( ASD)と他の開発課題。 ® / Floortime™モデルDIRの目的は、むしろスキルや孤立した行動に焦点を当てるより、社会的、情緒的、知的能力のために健全な基盤を構築することです。

規則性あるいはルールと拘り

ASDのこどもたちの活動を観ていると、その多くに規則性あるいはルールが存在することがわかります。
たとえば、幼稚園や保育所で、ブロックやペットボトルを規則的に並べる。たいていはできあがる形ですが、色の配列を考慮したものまで多種多様です。レゴブロックでできあがる物はともかくとして規則的に積んでいく。内容はいろいろですが、対象が物の場合は、この規則性が見えやすいと思います。
移動場面でも線上を歩く、同じ色のタイルを踏む、ひとつひとつの窓を触る・窓から中を覗く、といった行動がよく見られます。
世の中に出回る、いわゆる教科書やムックなどには、このような活動の特徴を「拘り」として掲載していることが多いのですが、この表現には、「おいおい、この村ではそんな行動は嫌われるぜ。この村で生きていきたきゃ、そんな拘りは捨て去りな」とでもいうようなニュアンスが含まれているように感じられます。もちろん、「拘り」という表現には、本人が困るという面もあるでしょうから、必ずしも誤った言い方とは思いませんが、理解する、という前提からは、まずは「拘り」という「理解」は置いておく、何かヒントはないかという方向で発想を変えるときっと素敵な奇跡が起きるのではないかと思われてならないのです。

教室等でのやり方(フロアタイム)

すでに関連ではhttp://marugamehoppe.at.webry.info/201106/article_2.htmlで記しましたが、自閉症スペクトラム障害(ASD)のこどもへの教室等でどのように支援すれば良いかという問いに対する解を、私たちはずっと探して来ました。それだけ、教員や保育士には理解しにくいのがASDを始めとする状態なのでしょう。
ここのところ(昨年から)、教員や保育士対象の研修などでも、フロアタイムのことを意識して、話をしています。それ以前は、先生方から質問を受けると、「しばらくどうするのかを観てください。(きっと、何か見えてくるはずです)」というプランを必ず含めるように伝えて来ました。教員等も切羽詰まった状態ですから、余裕もなく、「この子はこうこうなのですが、どうすればいいか」という、言ってみれば、究極の問いを投げかけてきます。こうした先生の感情は、たとえば、興奮しているし、焦っているし、イライラしてもいるし、場合によっては怒っているのかもしれません。ことばというものは、言語上の(論理的)情報以外に多くの感情を伝えます。応対する役目の私たちは、その情報よりも感情に始末を付けておくべきと考えます。教員側が興奮していれば、当然こどもにはその感情(の強さ)が伝わり、関係はむしろ良くない方向へ向かいます。
それで、こどもが何をどうするかを観ましょう、との提案をするわけです。そんな悠長なことは言っていられないことは百も承知で、このプランを示します。すると、さすがはプロの教員たち・保育士たちです。その先生なりの捉え方をぼんやりとでも得るようです。「先生なりの」とは失礼かもしれませんが、教室等の現場では、その先生が動くわけですから、納得して行動しなければなりません。したがって、「なりの」が大切なのです。
こうした積み重ね(私がではありません。先生方が、です)は、興味深いことを教えてくれるようになります。つまり、こどもが今続けている(もしかすると、理解できない)活動を見守り、それに入り込んで行くという形を、先生方は採用することになります。この取っ掛かりとでも言うべき、関係性は両者にとって、新鮮であり、かつ、自他のおぼろげなASDのこどもたちにはおそらく初めて意味のある、養育者以外との関係になります。
そして、こどもたちが少しずつでも成長を示し始めると、先生方はこれはもう嬉しくて、次から次への奇跡を起こしてしまうのです。

このことをずっと考えているうちに、フロアタイムとの共通性があることに気づいたわけです。
それで、フロアタイムのことを喋り続けているのです。研究者としては、似ている他人の理論を紹介するは癪なのですが、圧倒的に情報量がフロアタイムの方が上なので、勉強家でもある先生方には英文への招待も含めてお伝えしている次第です。

月刊福祉7月号(連携方式その2)

忘れていました。丸亀市発達障害児支援恊働事業のことが『月刊福祉』7月号の<シリーズ 人と人をつなぐ実践>
http://www.fukushinohon.gr.jp/esp.cgi?_page=_index&_page2=contents&_page3=detailmagazine_g&_sys_id=2128にインタビュー記事として掲載されています。図書館その他で是非ご覧ください。

恊働事業が連携方式によって支えられていることも少しは伝わると思います。

(連携方式…以前のブログ)
すでにご存知の方々が多いと思いますが、行政的には、発達障害児・者支援センターといった、センター方式を採用するところが多いように思います。センター自体は必要です。各都道府県にひとつはないと本来は法の趣旨からいっても困ります。
ただ、センター常駐のスタッフや建物を含む予算には限度があります。限度のない予算では普通は破綻してしまいます。すると、どうしても、萎縮したセンターを作ることになり、サービスを受けられない、あるいは、受けにくい当事者が存在してしまい、その当事者は我慢することになりかねません。

各地域に、支援センターを作るだけの潤沢な予算があるところは少ないでしょう。もちろん、だからといって、作らなくて良いといっているわけではありません。考え方というか、目先を変えて、地域の人材と連携するという方式もいいのではないかと思います。詳しくは、また、書かせていただくか、どこかでお話をしますが、本事業の場合は、地域のNPOを含む、人材を柔軟に活用してある程度の成果を上げています。
もちろん、それで100%だということはできません。足りないことはたくさんあります(これもまたできれば書きます)。
また、センター方式は設計図を超えられませんが、連携する方式を採用すると、成長する側面が生まれます。
世の中、いつからか、トップダウンとうるさい。たぶん、仲良くなる力があまりない人たちが考えると、トップダウンになるのでしょう。事業を育てていくには、仲良くなる能力が必要だと思うのです。

自閉症スペクトラムと音楽

あるときから、自閉症圏内のこどもたちには感覚過敏があると知られ始めました。感覚は五感(聴覚、視覚、嗅覚、触覚、味覚)があり、そのすべてというより、ひとつかふたつの過敏さがあるようです。
先生方は時として誤った記述や研修に出合ってしまい、これらの過敏さをネガティヴに受け止めやすいのですが、集団の中では雑多な刺激が多いため、また、幼いこどもたちは確かに刺激を苦痛に感じてしまうようですから、それらを避けるべく、環境調整をおこなうという考えは正しいでしょう。
ただ、こどもたちの中には、こうした鋭い感覚が後に、その人の趣味や落ち着く方法、あるいは、勉強する方法、等々に変わって行くことがあるのです。最近は音楽をとても小さな機器に大量に入れて持ち歩きそれを聴いて楽しむことが若者だけでなく、結構な年配の世代にも拡大しています。PCやインターネットの普及は必ずしも目を背けることばかりではないのでしょう。
あるこどもはヘッドフォーンをして音楽を聴きながら勉強したら、とても効率が上がります。できれば、試験のときもヘッドフォーンで受験させたいくらいですが、そこまで今の学校や入試は寛容ではありませんから、仕方ないにしても、これは大きな、そして、じつは昔からある方法なのです。
イヤーマフは、聴覚刺激に過敏なタイプの自閉症児が用いると、効果のあるグッズですが、形態からしてヘッドフォーンに似ていることがわかると思いますが、音楽が聴こえたら落ち着く、集中できるこどもたちは結構多いように思います。(あまり大音量だと、聴覚に問題が生じやすいのでこれは要注意)昔から音楽を聴きながらの勉強は多くが採用した方法です。それが1970年代にある企業がwalkmanというカセットテープ・プレイヤーを発売して、爆発的に売れ、当時の若者たちは皆walkmanを持ち歩き、音楽を聴きながら、移動したり、勉強したりしていました。(ちなみに、私はwalkmanが出現する前に、大学にラジカセを持ち、大きなヘッドフォーンを繋いで聴きながら行ったことがしばしば)私たちにとって音楽は信頼できる友人であり、ときとして、それはマスキングをしてくれる道具であったりします。

ただし、できれば、良質な音源から収録された音楽が良いことは言うまでもありません。ネット上で無料で拾える音楽は簡便な録音形式でしか取り込めないことが多いので、「音に過敏な」自閉症児が「違う」というかもしれません。インスタントコーヒーとレギュラーコーヒーとの差程度はありますから。(音にうるさい友人はヘッドフォーンやデジタルではなく、きちんとしたスピーカーと自分で設置して、聴くの
が良いのだと主張しますが、そんな物を持ち歩くわけにはいきませんね)

ストレス→腰痛など

8月になりました。2011年も半分以上経過したのですね。
いかがお過ごしですか。
前期がようやく終了しかかった、7月末に酷い腰痛(及び首の痛み)に見舞われ、大事な
会に参加できずという事態もありました。
ストレスの海をうまいこと泳いでいるように見えても・思えても、結局それは気が張っているだけで、(前期の)終わり間際にそれがヒステリーとなって、身体化するということからは逃げられないようです(私の場合は)。7月と2月が危ない-これが私の危険な月です。数年前2月初旬後期が終わりかけ、やはり、ほとんど動けない状態になり、針治療で何とかしていただいたことがあります。
夏本番。加えて世の中は混迷を極めています。どうぞご自愛のほど。
無理に対抗するのではなく、自分のペースに戻すのが良いようです。

夏休み

夏休みになると、♪むーぎわらぁぼうしぃはもうきえぇたぁ♪と思い出します。
私の勤務先の大学はまだですが(8月5日まで授業日)、多くの学校が夏休みが始まった
ばかりでしょう。まとまった休みは、できれば親子で楽しみたいものです。こ
ども主導で何か、お金のあまりかからない遊びは何かないものでしょうか。
私はこどもが小さい頃よくお弁当を作って家族で近くの山というか丘にピクニックに
出掛けました。まんのう公園やニュージーランド村などにも行きました。この辺り
で暮らしていると、どうしても車で移動せねばなりませんが、運転できるなら、適当
に荷物を積んで、さぁ行こうかと出発できるのも、田舎暮らしの良さ。そして、で
きれば、お弁当作りにもこどもを参加させたいものです。おにぎりは日本が誇る携帯
食。そして、卵焼きやソーセージ、適当にちぎった生野菜。こどもにできる部分が
あるはず。食材の変化はこどもにとっては遊びの一環ですから、あまり、こちらがム
キにならずに。お客様に出すわけではありません。全部自分たちで食べるのですか
ら、多少の難は愛嬌です。
出発した途端に、「まだ着かないの?」なんて、こどもならでは時間感覚に苦笑しつつ、
「焦るな。山は逃げない」なんて余裕で答えましょう。そうそう、ペットがい
て一緒に行けるようなら連れて行きましょう。要素がひとつ加わる度にこどもの「新
しい面」が見えてきます。
バーベキューが流行していますが、食材は買ってきたままではなく、自宅で適当に切っ
たりした上で、冷凍処理するなどして、ゴミを出さない努力が必要です。火事に
も注意。それから、軽く一杯はできませんので、これまた注意。帰宅してからでいい
ではありませんか。
現地に着いたら、危険個所点検だけはしてください。こどもは意外な動きをします。

10年もしたら、もう家族で動くなんてできなくなることもありますから、今をできる
限り楽しむのがいいと思います。そう、ポイントは皆が幸福に過ごすということ
だけです。
9月になったら、また、思い出を聞かせててください。

教員免許の更新講習

折角「NPO法人 地域は家族・コミュニケーション」http://www.geocities.jp/takagi11765/chiikiwakazoku/にリンクができたので、何か書いておかなければ、と思っていても、この時期毎日やることが盛り沢山で、そのやること自体溜まって行く一方で、さらに台風6号による休講で予定が崩れたこともあり、手つかずの状態が続いています。
その山積した仕事のひとつが、タイトルに掲げた教員免許更新講習です。今年で3年目になるのに、一般にはあまりというかほとんど知られていません。それもそのはず、教員免許をお持ちの先生方にとっては関心があっても、その他の方々には関係のない事柄だからでしょう。
3年前、教員免許も更新制にした方がいい、という理由で始まってしまった制度ではあるのですが、全教員が、大雑把にいうと、35,45,55歳の先生が対象で、一度受講すると、10年間有効になるという仕組みです(詳しくは文科省HPで)。自動車運転免許制度のようですが、受講時間ははるかに長く、お金もかかってしまいます。また、受講している日程中は現場で仕事はできませんから、他の先生方がその穴を埋めることも必要となるのでしょう。
今、その更新講習(私は6時間分)の準備も進めているのですが、更新制ではなく、それぞれの自由意志で研修するようにしたらいいと始まったときから思っていました。
どんな仕事でも自己研鑽が必要ですが、それはその人が決めることでしょう。勉強はモチベーションが必要ですから、強制的にこれこれの範囲で、これこれの時間勉強せよ、というのは、好きになれません。
と、書いてしまうと、講習をおこなう側も受ける側も不幸だと思いますので、折角の機会、やれと言われてやるよりは、精々みんなで勉強しようという意識に切り替えてのこと。折角6時間も勉強するなら、少しでも役立つ内容を提供できたらいいし、できれば、参加者たちから経験など(現場の声)もお聴きしたいと思っています。

巡回Cもほぼ一通り

保育所の予定はすべて終了して、後期の2回目を待つ状態になり、市立学校についてもほぼ終了しました。
ところによっては、2回あるいは3回、相談員が足を運んだところもあります。
丸亀はエアコンがついたこともあり、昨年度の蒸し風呂のような状態からはかなり改善されていました。

さて、巡回中によく届いた質問:
・保護者が個別に相談できませんか? 
 → 可能です。どうぞお問い合わせください。
・担任等と保護者と相談員の三者で相談できませんか? 
 → 可能です。学校や保育所と調整して、必要であれば、実施することになります。

小手島へ2


船はかなりの年数を耐えたもの。たぶん30km/hほどのスピード。船はノットが速度の単位ですから16ノットほどか。
瀬戸内海は美しいと久しぶりの感動があります。朝の瀬戸内海も格別。太陽が沈む頃は感動もの。
この海は誰も汚してはならない-誰でもそう思うはず。